国内の皮革産地
革といえば、海外やヨーロッパなどを連想される方も多いと思いますが、日本国内の皮革の歴史は古い。そんな国内皮革の四大産地ともいえる「姫路・たつの」「東京」「埼玉・草加」「和歌山」についてご紹介します。
生産量が日本で一番多いのが、兵庫県姫路・たつの地区だ。大規模の工場から小さな工場まで、扱う種類も実に多様であり、現在でも200以上の工場が集積している。日本国内外のレザーコンテストで名を知られるタンナーも多く、革好きにとってよく知られたエリアだ。エリア内を流れる豊かな水源は、古くは水路としても活用され、長きに渡って日本有数の革産地として栄えてきた。その歴史に裏付けされた誇りと技術が、若手タンナーにもしっかりと受け継がれ今日でも良質な革が量産されている。靴、鞄といった皮革製品用の製革だけでなく、家具や工業用の革まで、長年あらゆる需要に応えてきた。さらには最先端の技術開発により、それまでの既成概念を覆すような表情をもつ革も誕生している。次世代を担うタンナーたちも日本の革の良さをより多くの人に伝えるべく、皮革製品の制作にもいち早く取り組んでいる。
メイド・イン・トウキョウの革があることをご存知だろうか。それも東京の特産品となっている革がある。それがピッグスキン(豚革)だ。その他の革の原皮の多くは輸入品であるのに対して、豚皮は純国産。戦後の豚の畜産増加に伴い、それまで他の製革を行っていた墨田区エリアのタンナーにもピッグスキンを専門とする工房が増え、現在では日本を代表する革として世界への輸出もされている。墨田区・台東区をはじめとした東京下町には、タンナーだけでなく、革、靴をはじめとした卸問屋街も集積しており、鞣しから製品製造、流通までを担う東日本を代表する皮革産地として現在でも業界を牽引している。鞣し、染色、加工、漉きなど専門的な職人・工房が集まっており、町ぐるみの生産体制がとられてきた。分業ゆえに手間暇かかるオーダーにも強く、現在でも小ロットのサンプルをオーダーしたい若手デザイナーたちが通う。昔堅気の職人魂とトレンドに敏感な若手クリエイターたちのコラボレーションが、これからのメイド・イン・トウキョウを担っていく。
埼玉県草加市の皮革産業は、昭和10年代に都内から工場が移転したことで始まりました。草加は古代には湿地帯で、豊富な地下水が皮革生産に適していたことや、首都圏に近く浅草の皮革商社とも日光街道や東武線で結ばれているという地の利があり、多くのタンナーが工場を構えるようになりました。最盛期には約50社のタンナーが操業していました。
戦後、高度経済成長期を経て皮革製品の需要が高まり、草加を中心に製品加工業者が集まりました。そのため、草加市とその近隣では素材の調達から鞣し、染色、加工まで全ての工程を地元で完結できるという特長があります。製造する皮革の動物の種類も多彩です。
当初から皮革産業に関連した業者は、商取引や資材の共同購入、情報交換を目的とした同業者団体を作っていましたが、現在はほぼ一つにまとまり、「草加レザー」や「レザータウン草加」を前面に押し出して、良質な皮革製造と皮革製品の宣伝、国産皮革と地域経済の活性化を目指しています。各種製品の試作や展示、イベント、ワークショップなど様々な活動も行っています。
これらの事業を通じて、各分野で活躍する人々と関係を築き、人脈を駆使して分野横断的に皮革製品の試作に取り組み、皮革の良さや有用性を体現する新たな市場を開発・拡張しています。草加がレザーの産地であることを積極的に宣伝し続けています。
明治維新による近代化にともない軍靴の需要が高まったことで、それまで和歌山城の堀内で活躍していたタンナーを中心にこの地に西洋沓伝習所が成立し、近代的なめしが始まった。それまでの長い時間をかけて培われてきた技術が受け継がれ、多くのタンナーを有するようになり、和歌山の地場産業となった革づくりだが、時代の流れに伴いタンナーの数は減少してしまう。現在残っているタンナーが、そんな厳しい時代を超えるために身につけたのが、専門性への特化だ。ヌメ、床、シープ、そして和歌山を代表する仕上げであるエナメル。分業することで成立する専門的な革も、和歌山では特化することにより一社で製作管理をしている。ゆえに他ではラインに乗りづらいオーダーにも対応。少数精鋭で生き抜いてきた和歌山ならではの強み。また、タンナー同士の結束力も高く、情報や技術の共有がスムーズで、現在では和歌山タンナー発信の地域ブランド「きのくにレザー」も発信中。大阪や東京への供給だけでなく、より地域に根ざしたものづくりにも取り組む。